REPORT

現地ボランティアへの参加レポートです。

東日本大震災被災地復興支援ボランティア 2011/5/31〜6/1
(山梨県笛吹市社会福祉協議会主催)
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・行き先
宮城県東松島市大曲市民センター
東松島市:宮城県仙台市の北東、広域石巻圏の西端に位置する
市街地の約65%が浸水


・日程
2011年
5月31日 
22:00出発(山梨県笛吹市石和)バス中泊
6月1日
8:30 東松島市大曲市民センター(サテライトボランティアセンター)
9:00〜15:00活動
16:00出発〜23:30帰着

・参加人数 24人(男性14人、女性10人)

・活動内容
津波による水害久居地区での泥出し、片付けの作業など
(活動結果:午前に住宅一軒の床下泥出し、午後に住宅件工場の庭の泥出し完了)

・費用
バス代、ボランティア保険代…4000円(その他、食費等自己負担)

・ボランティア活動上の留意事項
1.事前の体調管理。
2.過去のボランティア経験が今回は通用しない事を自覚する事。
3.活動中は被災者の気持ちやプライバシーに配慮する事。
(写真撮影禁止、大声大笑い禁止、活動中の飲食をしながらの歩行禁止、被災者の個人情報は漏らさないように注意)
4.被災者からの差し入れを受け取らない事。
5.ブログを書く際の注意。(写真の肖像権など)

・持ち物
ゴーグル、ゴミ袋(汚れた衣類等入れる)、カッパ(上下別、前開き)、軍手+ゴム手袋、防止、長靴、タオル(3枚程度)、ウェットティッシュ(大きめサイズ)、歯ブラシ、着替え、スプレー式アルコール、マスク(2枚重ねる)、昼食、水、保険証のコピー、消炎鎮痛剤(常備薬)
持ち物については東松山市災害ボランティアセンターのサイトが詳しい
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…参加の動機は、
今後の支援活動を続けるためには、一度、現地の状況を体感するべきだと思っていたが、個人単位で行く事は不可能。
ボランティアバスツアーは有効なのか、体験したかった。

…結論としては、
現地の状況を見る事で災害の様子を実感でき、支援活動が引き続き必要である事も確認できた。
ボランティアバスツアーのように、短時間での作業支援も現時点では充分役立っているようだった。(ボランティアが集中する休日よりも、平日の方が現地のボランティアセンターに負担をかけないとのこと)

時間の経過とともに状況は変わって行くのだろうから、また機会があれば現地での支援活動に参加したいと思う。


…以下、ボランティア参加の記録と感想です。

移動時間約16時間、現地滞在時間 (たったの)6時間。
行きバス中泊、座り仕事でたまにちょっと走るくらいの中年の女が果たして役に立つのだろうか、
半信半疑だったが、勢いで申し込み、事前説明会に参加した。

集まった参加者は20代から60代程度の男女と幅広く、女性では最年長を覚悟して行ったのだったが、まずは少し安心。

そして、3度目の参加という方もいて、それは、このボランティアが役に立ったという実感があるからこそだと思われ、さらに希望の光が見えて来た。

…しかし、説明の内容は厳しいもの。

・ボランティアが特別な存在だと思ってはいけない、過度な成果を期待してはいけない、ただの労働力として淡々と作業すること。
・現地の状況次第で、バスに長時間乗って行っても、何も出来ずに帰って来る可能性もある。(当時台風が近づいていたため。)

現地の被災された方への配慮については重々念を押されたが、考えれば、当然の内容ばかり。
一つだけ、差し入れをお断りする…については、一度差し入れを受け取ってしまうと、ボランティアに差し入れが必要であるという誤解が生まれ、無理して用意するような事になるためとのこと。なるほどである。

念のためPTSD(心的外傷後ストレス障害)の危険性についても説明があり、活動後に該当する症状があった場合は相談するようにとのこと。
持ち物については詳細な説明があり、具体的な商品名や購入場所をあげてくれたので、購入にあたって大変助かった。

スコップと衣類以外は、ほぼ全て買いそろえる事になり、合計6000円程度。


装備の買い出しは出発当日の午後、
ホームセンターをハシゴし意外に時間がかかり、買いそろえた物に名前を書いたりしているうちに、出発直前…ようやく整った。

スコップは、古い大きな剣スコップを持ったが、角スコップ、移植コテ、じょれんや金属のチリトリ、ワイパー(モップ)など、全て現場で役に立っていた。

スペースのない床下では、大きなスコップよりも小さな物の方が小回りが利く場面もあり、全て一長一短、道具に関してはあらためて買いそろえる必要は無いように思えた。

移動のバスは、バス会社からおろしたての奇麗なバスが提供され、大変快適なのだが、トイレがついていないため、1〜2時間おきに休憩がある。

うっすらとしか睡眠が取れないまま、宮城県入り、
現地に近づくと道路状況が悪く、車酔いするであろうと説明があったが、それほどでもない。

最終トイレ休憩の矢本SAでは自衛隊の車両や、支援物資を運ぶヤマザキのトラックが泊まっており、被災地が近づいている事を感じる。

矢本SAを出てしばらく行くと、自動車道の右手海側には真っ黒な汚泥とがれきで覆われ、車が所々に打ち捨てられているが、左手は田植えの済んだ田園風景が広がる。

三陸自動車道が防波堤の役を果たし、海側だけが津波の被害に遭ったのだそうだ。
車内全員で黙祷する。

4月の活動の際には渋滞したそうだが、今回は順調に交通が流れ、早く到着したためバスは石巻港を経由して大曲に向かった。

石巻港は津波の直撃を受けた所、
真二つに折れた電柱、くしゃくしゃに潰れた車両、運動公園には、仮に土葬されたお墓がならび、花が供えられている…実際に目にしていても、信じられないような光景。

それでも、港に近いローソンには6/3開店の貼り紙、
棚はまだ空っぽだったが、今頃はお客さんで賑わっているに違いない。
 
大曲のボランティアセンターで作業のための身なりを整える間にリーダーが作業現場と内容を確認。

24名全員で一般家屋の床下の泥だしに参加。

大曲の地区は、波にのまれることはなかったものの、水が数日間ひかず、町中が泥に覆われてしまったのだそうだ。

泥は、真っ黒なヘドロで、陶芸に使用する粘土のようにキメが細かい、そして、悪臭がし、細菌が含まれているので、作業中は雨合羽、ゴム手袋、ゴーグル着用は必須。
水分を含んでいるうちは扱い易いが、乾燥し始めるとスコップにへばりついて扱いづらい。

現場ではすでに他のボランティアグループと、大工さんが作業しており、総勢30名超で2時間弱、昼前には終了した。
 作業は15〜20分ごとに休憩を入れ、体力の無い者に合わせて、すすめられる。


ただし、禁煙が原則なので、休憩時に一服できない喫煙者はつらそうであった。


午前の作業が終了すると、一旦ボランティアセンターへ戻る、
センターのトイレが使えないため、途中で公園のトイレに寄るが、近隣のボランティアが使える唯一のトイレであるため、長蛇の列。

マラソン大会で、長蛇の列には慣れているので大丈夫、水洗でキレイなトイレがありがたい。
午後の作業は、庭の泥出し。

土の上に体積した泥の除去は、木の根が邪魔をして、床下のコンクリートの上の泥をすくうようにはいかない。
それでも20名あまりの人海戦術で、1時間半ほどで泥が除去され、我々が到着した際には半信半疑の表情だったお家の方も、笑顔で送り出してくださった。


で、意外に大変なのが現場への往復…スコップを持って、ゴム長で粉塵の舞う道を歩く…最初の現場は15分程度だったが、午後は30分近くかかる場所で、作業後の帰路は無言の行軍であった。

この日は、曇りで涼しかったが、これが暑い日ざしのある日だったら、雨合羽着用での作業と往復は体力を奪った事だろう。

終了後は、道具の洗浄と着替えの後、帰途へ着いた。
行きのバスでは引きつったような表情で緊張していた参加者も、帰りは作業を通して気持ちも少々ほぐれ、和やかな雰囲気だった。

同じ山梨県の笛吹市近辺の参加者だった事も、チームワークの良さの一因だっただろう。

今回の作業では、2件とも完結する作業だったため、比較的達成感があったという感想が聞かれた。

しかし、個人的には「やってきたゾ」という満足感はあまり無く、ここまでにいたる作業とこれから続くであろう作業の膨大さに呆然とした。

それが、この地区だけでなく、東北地方の太平洋側沿岸に広がっていると思うと、途方もない。

往復で消費した燃料と、我々のこなした作業量を天秤にかけると、はたして 意味があったのか?怪しいものだが、現地の状況を体験した我々がこの体験を忘れず伝えるなら、それなりに役に立ったと言ってもよいのでは。

 もうひとつ、被災地以外の道中は、田植えの済んだ山間の田園風景や、果てしなく広がる田んぼなど、豊かで美しい東北の風景にほっとさせられた。
無事で元気な東北がある事をすっかり忘れていた。

もっと遠くの、もっと無事である自分などは、もっと頑張らなくてはいけない。
実は、阪神大震災の時には、今より若くて時間もあったのに、ボランティアらしい事もせずに過ごしてしまった後悔があり、今回はどうしても参加しようと思っていた。


一度現地に行ったから、これで充分とは思えない、
集めた義援金の使い道も、より慎重に、より有効に…と思う。

ポストカードを買ってくださった皆さんの気持ちを無駄にしないように、考えて使って行きます。
(2011/6/4)